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Sさんの一件で考えたこと [テレビ]

 人気アイドルグループのSさんのことをずっと書きたいと思っていたが、なんと先日、週刊誌に過去の交際のことを書かれて騒動になってしまった。こんな機会に書くのは残念なことだが、こんな機会だからこそ考えた内容もある。だからこの際、書いておこう。ただ、あまり愉快な話でもないから、人名は極力伏せることにした。

***
 Sさんのことを知ったのは、ちょうど1年くらい前だった。当時Sさんは、所属するアイドルグループの中で、唯一、冠番組を持っていた。誰かが日経新聞のコラムで、この番組に出てくるSさんのヘタレっぷりが面白いと書いていたのでちょっと見てみた。うん、確かに面白い。へタレているだけではない。テレビを面白くするような的確なコメントを言える人である。以来、ネット動画でSさんの出ているのを探して見るのが楽しみの一つになった。

 僕みたいに、CDも買わず、ライブを見に行くこともせず、ただテレビやネット動画を見ているだけの人間は本当のファンとは言わない。野次馬である。しかし自分が30年若かったら、このグループに夢中になっていたであろうことは想像に難くない。Sさんの動画を見ているせいで、他のメンバーのことも良く知るようになった。

 Sさんの第一印象は、某局の番組で珍○ハンターになった、イ○トア○コさんに抱いたそれに似ていた。非常に個性的で、他の人が真似できないような何かを持っている。この人は愛されるだろうな、と思った。僕のこういう勘は、結構当たる。要するに僕の感性は、現在世の中で、いろいろな決定権を持っている地位の高い男性(有り体に言ってしまえばオッサンたち)と同じものである。オッサンたちは、ただ単に若い女の子が好きなわけではない。いい仕事が出来そうな女の子をきちんと選んで冠番組を作っているのである。

 この冠番組が終わったあと、Sさんは、「笑って○いとも」のレギュラー、某ファッションブランドのイメージキャラクター、某県の観光大使に選ばれたりして引っ張りだこになり、今年の人気投票では、グループ全体の二百数十名の中で、4位まで上りつめた。まさに順風満帆。そんなときに、あの報道があったのだ。昔、交際していたという男性が、その交際について、あれこれとリークしたらしい。

***
■「卑劣」とは正にこのことだよ

 男女が互いに好きになり、親密になれば、やがてその二人だけの秘密を持つことになる。そしてそれは、あくまでも二人だけの秘密にしておくべきことである。たとえ結婚したあとで、不幸にして離婚することになったとしても、寝室でどんなことがあったかなど、第三者に語るべきことではない。世の中のほとんどの大人は、これを倫理として守っている。

 しかし、また逆な言い方をするなら、相手がこれを守るかどうかは、相手の倫理観に任せるしかない。Sさんは今やすっかり人気者になった。相手のステータスが高ければ高いほど、そのような過去の恋愛沙汰の話は好奇心の的になりやすい。つまり、高く売れる情報になる。その男は、情報の値段が上がるタイミングを見計らって、あることないこと、べらべらと週刊誌に売ったのである。

 週刊誌も酷なことをすると言う人がいるかもしれないが、僕個人は週刊誌を責める立場にない。なぜなら僕だって、たまに週刊誌を読んで人の噂話を楽しむことはあるからである。週刊誌が極悪非道の存在なら、とっくに滅びている。実際は需要があるからからビジネスとして成立しているのである。それにこの種の男は、一社に売ろうとして断られたら、別の出版社に売りに行くに決まっている。

 それにしても、なぜこんな卑劣なことができるのだろう。「卑劣」と言う概念を正しく認識していれば、「そんなことをするなら死んだほうがマシだ」という心のブレーキが働くはずである。それに子供の頃から普通の親に普通の環境で育てられれば、「正義」とか「勇気」とか「悪」とか「卑劣」とかいう抽象概念は、言葉で説明できなくても、自然に身に付いていくものだと思う。これが身に付かなかったということなのか。

 この男は出版社からさぞかし大金をもらっただろう。忌々しい話だが、法で裁くことはできないと思う。しかし、ほんの少しでも良心があれば、おそらく自分のしたことを後悔し、死ぬまで苦しみ続けるだろう。もしも良心がなければまた同じようなことをするのかも知れない。しかし、いずれ天罰が下るだろう。

***
■童貞の話

 あるマスコミの調査では、今回の騒動があっても、9割以上のファンが、Sさんを何も変わらず応援し続けると言っているらしい。普通はそうだ。この話は過去の話であって、現在のSさん自体になんらの変化も起こらない。よって好きな人は好きなままだし、逆に嫌いな人はずっと嫌いなままだと思う。

 ただ、一つ興味深いのは、いままで熱心に応援していたファンの中に、今回のことで非常に腹を立て、「嘘つき」、とか「謝罪しろ」とか、「裏切られた」とか言って怒っている人が少数いることなのだ。それまでSさんが「男性と付き合ったことが無い」と言っていたのに、実際は有ったということが許せないらしい。嘘と言えば確かに嘘である。では、その嘘がどのくらい罪深い嘘かというと、さっきおやつをつまみ食いしたのに、してないとシラを切る程度にしか思えない。

 他人から見たら、笑って済ませるようなどうでもいい話である。まあお母さんなら教育のために叱るだろう。また、おやつをつまみ食いした子供の、1歳年下の弟からみたら、これは深刻な問題である。「兄ちゃんずるい!」と言って泣くだろう。

 Sさんが過去に男性と交際したことが許せない、あるいは偽ったことが許せないという男性は、おそらく女性と交際したことがない比較的若い男性だ思われる。自分が中学生くらいの頃のことを思い出すと、なんとなくわかる。好きな女の子ができて、毎日その子と楽しくお付き合いすることをあれこれと考えた。はじめてのデート、初めてのキス、初めての夜、すべてが初めてである。やがて結婚、出産・・・なんて10年以上先のことまであれこれと妄想していた。そして初夜のときは、自分が「未経験」だから、女性の側も当然「未経験」でなければならないと思っていた。

 なぜ「未経験」でなければならないか。それは逆に相手が経験豊富だった場合を想像してみればいい。いざコトに及んでも、なかなかうまくいかず、相手に困った顔をされ、リーダーシップは完全に女性に奪われる。男の面目丸潰れ状態で、ようやく終わる。自信喪失しているところに、さらに追い討ちをかけるように「それ手術した方がいいわよ」なんて言われたら? もう立ち直れない。プライドはズタズタである。そんなことがあってはならない。だから僕の恋するあの娘は、どうしても処女でなければならなかった。

 人間の価値や魅力なんて性的な経験とは別のところにある。実際のところ、僕が童貞を喪失した後で、人格が高貴になったとか、雰囲気がセクシーになったとか、体形が逞しくなったとか、人に特別優しくなったとか、そんなことはない。偉業を達成したわけでもない。人間なら誰でもやる、当たり前のことを一つやっただけである。自慢するものでもないし、やってないからといって卑下するようなものでもないのだ。しかし、自分が童貞を喪失してみないと、そのことがわからず、「経験」の有無に異常にこだわってしまう。「童貞=未熟者」と言う図式の、本当の理由はここにあると思う。

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 「水に落ちた犬を叩く」という諺がある。誰かが窮地に陥ったとき、その機に乗じて、その人を攻撃することを言う。

 水に落ちた途端に叩かれて、実際にその社会から追放されてしまう人が実際にいるが、そういう人は、大抵の場合、普段から素行が悪くて、周囲に敵がたくさんいる場合が多い。例えば、かつてものすごく強かったモンゴル人の横綱は、何度も問題を起こして、ついに引退に追い込まれた。一度のミスでこうなったわけではなく、それなりの蓄積があって、周囲から味方がだんだんいなくなってしまったのだと思う。人気力士だったから残念がるファンはたくさんいた。でも仕事仲間から「こんな奴と一緒に仕事できるか」と見放されたのだ。

 これに対して、水に落ちてもすぐに助けてもらえる人もいる。例えば、高齢の妊婦に対する失言があったあの女性歌手の件、酔って街中で裸で騒いだあの男性歌手の件、一時的に騒動にはなったが、どちらもあっというまに鎮静化した。これはつまり、普段の素行がいいことの証である。今回のSさんの騒動でも同じものを感じた。真面目に仕事をし、他人に対する配慮を忘れずにいれば、困ったときにたくさんの人が味方になって、助けてくれるのだ。

 単に「ファンがたくさんいる」ということではない。Sさんの周囲に、Sさんと一緒に仕事をしたい、と思っている人(芸能人であれスタッフであれ)が大勢いるということである。社会人としてこれほど幸せなことはないだろう。よかったよかった。僕は野次馬ではあるが、野次馬なりに、これからも地味に応援し続けようと思う。



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Perfumeのこと ~アイドルなのかアーチストなのか~ [テレビ]

 僕くらいの年齢のオッサンは、普通はアイドル歌手に興味がない。昔、松田聖子や菊池桃子に狂った年代であるけれども、今となっては、ちょっとくらい若くて可愛い歌手がいたところでビクともしないのが普通である。もう年齢的に免疫ができてしまっているし、ある程度目が肥えているので、よほど心を揺り動かされなければ、新しいものを敢えて受け入れることもない。昔聞いていた歌を何度も繰り返し聴くだけで満足できるのである。

 ところが・・・

 昨年の7月頃、Perfumeというテクノポップユニットにすっかり魅せられてしまい、YouTubeの動画を見まくった。DVDだって3枚も買ってしまった。彼女たちの魅力については、ネットではあちこちで語られているし、ステージパフォーマンスだって、すっかり完成の域に達していて、もう見事としか言い様がない。最近では、アメリカのアニメ映画に彼女たちの楽曲が使われることが決まったそうで、これも凄いことだと思う。

僕の一番のお気に入り「Edge」


 さて、YouTubeの動画では、過去のテレビ番組に彼女たちが出演したときのVTRがかなりの数アップされている。だから僕みたいな時代遅れの人間でも検索をかければ過去の経緯をある程度は追跡することができる。その中にひとつ興味深いものを見つけた。あるテレビ番組に彼女達がゲスト出演したときに、司会の女性がこんな質問をした。「Perfumeはアイドルなの? アーチストなの?」これに対して、彼女達は「どちらで呼ばれても嬉しいです」と答えていた。(上手な答えだと思う)

 アーチストというのは芸術家のことだ。芸能を生業にする人だってもちろんアーチストだから、歌手も俳優もアーチストには違いない。ならば「アイドル」と「アーチスト」は違うものなのか。定義が非常にあいまいだから、ここで敢えて僕なりの定義をしてみる。アイドルというのは、一人前のアーチストになる手前の、いわゆる「見習い」のような段階の人を指すのだと思う。傾向として、若くて外見に魅力があるから、アーチストとしての技量が未熟でも、それに不釣合いなほどに人気が膨らみやすい。

 世間一般に、こうした人たちをアイドルと呼ぶ傾向があるようだ。だから、「アイドルなのかアーチストなのか」という疑問の裏には、「この人たちは見習いの期間をとうに卒業しているようだが、それにしては若すぎる。どっちなんだろう」という一種の困惑が含まれているのだと思う。

 少し話が脇道にそれるが、よ~く考えてみると、アイドルと呼ばれる人たちの芸が未熟なのは当たり前のことだと思う。年齢が十代後半くらいで、一人前の仕事ができるかと言ったら、出来ないと考えるのが普通である。一般の会社員の感覚で言ってもこれは明らかで、マーケッターが市場調査をしたり、エンジニアが新製品を開発したり、営業マンが製品を顧客にPRして大きな契約をとるとか、商社マンが海外から売れそうな製品を見極めて輸入して販売するとか、そんなことが経験の浅い十代の若者にすぐにできるわけがないのである。プロスポーツの世界だって同様、高校を卒業してすぐにプロとして通用する選手なんて一握りのエリートに限られる。

 プロの世界に飛び込んで、すぐにプロの仕事ができるわけではない。見習いの期間を通して、だんだん熟練していく。それはサラリーマンの世界だって、スポーツの世界だって芸能の世界だって同じだと思う。

 さて、Perfumeに話を戻す。公式サイトの年譜を見てみると、彼女達が今のグループを結成したのは、2000年、小学生の頃だったそうである。もう結成10年を過ぎたという。結成したのは「アクターズスクール広島」という芸能の専門学校。ここで小学校の高学年の頃からレッスンを重ね、14歳で上京し、インディーズデビュー。2005年にメジャーデビューした。2007年に「ポリリズム」という楽曲と共にNHKと公共広告機構の共同キャンペーンのCMに抜擢され、これをきっかけに一気に人気が上昇した、ということらしい。

 YouTubeでは、彼女達の下積み時代から今までの動画がたくさん見られるが、見ていて思ったことは、「この人たちは、売れなくて当然の時代に売れずに下積み時代を過ごし、ぼちぼち売れなければならない時期に十分な実力をつけた上で売れた」ということ。つまり極めて自然な流れに乗っているのである。子供の頃の芸は未熟なんだから売れなくても当然なのだ。偉大なのは彼女たち自身、そして彼女達の親や所属事務所である。子供の英才教育に惜しみなく時間とお金を注ぎ込んだ親、そして利益追求型に陥りがちな所属事務所も、彼女達の成長を信じて、契約を続けたこと。その時期に彼女達は必死で努力して芸を磨いた。そして中田ヤスタカという優秀なプロデューサーに巡り合い、方向性を模索、今のスタイルを確立することになる。

インディーズ時代の「ビタミンドロップ」今とのギャップがすごい。(僕は好きだけどね)



 下積みの苦しい時期を経験し、ようやく一人前の仕事ができるようになる。これって普通の人が歩んでいる道に近い、受け入れやすい話ではないだろうか。素人がいきなりプロ野球の4番打者になることの方がよほど不思議なことなのである。

 彼女達がアイドルなのかアーチストなのか、という問いには、アーチストであるという答えが正しいと思う。彼女達の芸は磨きこまれて完成し、もう世界に通用するレベルだと言っていいと思う。今の段階でこれに異を唱える人は、Perfumeというグループを感情的に嫌っている人だろう。それはそれでしかたない。強烈なファンがいれば、強烈なアンチが現れるのは世の常である。美空ひばりの時代からそうなのだから。


【蛇足】
 アイドルの話をしたので、ついでに一言。最近、ふとしたはずみでTBSの「さしこのくせに」という深夜番組を観てしまい、これの出演者の指原莉乃さんに思いっきりハマッてしまった。なんておもしろい子なんだろう。この子はAKB48のメンバーだそうだ。こういう子がいると、それまで興味をもたなかったオッサンだって少しはこのグループに関心を持つ。

 彼女達の動画でひとつすばらしいのを見つけた。「桜の栞」という歌の動画である。この歌は2010年に発売されたシングルだそうだ。もともとが美少女ばかり揃っているところで、こんなきれいな女声コーラスを聞かされた日にゃあ、オッサンの目はハート形になる。「へえ~~、この子たち、こんなきれいな声出すんだ」と感動してしまった。見直したよ。



 上記の定義で言えば、AKB48は典型的なアイドルだと思う。人気者だから利権を求める人達がたくさん群がっているようで、いろいろと物議を醸しているようだが、彼女達に罪はない。これから芸を磨いてみんな一人前のプロになっていくのだろう。(そう思いたい)それが歌なのか芝居なのか、バラエティなのかは、まだわからないけど。
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芸能界は変わった [テレビ]

(この記事は、僕と同じ年齢層の人(30年前に高校生)にしか共感されないかも知れません。悪しからず)

 先日、沢田富美子さんに関する記事を書いて以来、しばらくの間、余韻に浸ってしまった。YouTubeで動画を捜してみたら、あるわあるわ、お宝のような映像がザクザクと。家庭用のVTRが発売されたのが、70年代後半だったというから、80年代には、かなり普及していただろう。(ちなみに僕の家にはなかった)

 当時、撮りためた映像をアップしているのだろう。しかも、テレビの音声が悪いところを、別の音源を重ねて改善したりしている。コメントには「アップありがとうございます」とたくさん書かれている。全くありがたいことだ。こうやって30年前にタイムスリップができるのは、30年前の思い出がある年齢層だけに許された特権である。

 さて、その中から興味深い動画を2つ紹介したい。どちらも、当時活躍した石川ひとみさんのものである。

 まず、一つ目。「オリーブの栞」。
http://www.youtube.com/watch?v=j8kNl17TdUs&NR=1

 何か、水泳大会か何かのイベントのときのものだろう。ビキニの水着姿で歌っている。現代ではなかなか見られそうもない演出である。こういう映像を喜んで見ていると「いやらしい」と非難する女子がいそうなので念のために言っておくが、こうした演出は30年前は普通だったのだ。

 この曲はあまりヒットしなかったが、セクシーな雰囲気で、好きな曲だった。ただ、その雰囲気が雰囲気なだけに、歌い手が妖艶に見えるような演出をすべきであって、ビキニの水着を着て、プールのような明るい開放的な場所で健康的に歌うようなものではない。明らかに演出を間違えている。しかし、それが30年前のやり方だったのだ。

 昔はグラビアアイドルという職種がなかった。雑誌のグラビアのページを飾るのは大抵は、アイドル歌手だった。要するに歌手がグラビアアイドルを兼業していたのだ。だからビキニで歌うなんてことも、普通だったのだと思う。(注1)

 もう一つ。「冬のかもめ」。これも好きな歌だった。
http://www.youtube.com/watch?v=T6sk1mCnpQA&feature=related

 「ぴったしカンカン」と言えば、当時人気のあったクイズ番組で、番組中盤には、「一枚の写真」というコーナーがあった。大抵は歌手の子供の頃の写真で、「これは誰だ」と言う問題が出題され、正解が出るとそのゲストが登場。あとはその人に関する問題で盛り上がり、最後はその人の歌で終わり、といった内容だった。

 さて、この動画は、その「ぴったしカンカン」に石川ひとみさんが出たときらしい。「冬のかもめ」は、きちんと演出されれば、聞いている人が泣いてしまうくらいの悲しい歌だ。それなのに、「ぴったしカンカン」のクイズで大いに盛り上がったあとで、こういう歌を歌っても、歌の内容が伝わるわけがない。歌っている彼女も、どんな表情を作ればいいのか困っているみたいだ。

 最近は、どちらのパターンも見なくなった。アイドルの水泳大会もなくなったし、バラエティ番組で歌手が歌うということもなくなった。歌手は歌手として、歌唱で表現活動を行うことに専念できるようになった。そのかわり「姿」を見せる専門のアイドルが登場した。仕事の内容が多様化して、自分の目指す仕事に、より深く専念できるようになったのだと思う。何でもかんでもアイドル歌手がやっていた時代は、もうとっくに終わったのだ。

 以前、テレビに出ることを嫌がる歌手が少なからずいた。その人たちの気持ちが、今にしてようやくわかった。

 なお、「オリーブの栞」の正しい演出と思われるのは下記。
http://www.youtube.com/watch?v=lP5XrAEA3sw&feature=related


 石川ひとみさんは、一時病気をしたりしてずいぶん苦労したようだが、今では元気に芸能活動をしている。よかったよかった。


【蛇足】
 上の内容から、逸脱するが、もうひとつ芸能界で大きく変わったと思うことがある。それは「子役」の活躍。昔のドラマに出てくる子役と言えば、セリフ棒読みのどうしようもないのしかいなかった。それが、吉岡秀隆さんあたりから、だんだん上手い子役が登場するようになり、今では演技で人を感動させるような子役がたくさんいる。これも大いなる進歩だと思う。

(注1)
2011年10月16日追記
 歌手がグラビアアイドルを兼業している状況は昔だけでなく今でも続いているようだ。最近AKB48と言うグループを見て、そう思った。
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沢田富美子さんのこと [テレビ]

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 滅多にテレビを見ない僕が、珍しく火曜日の夜にテレビをつけた。そしたら、日本テレビで「魔女たちの22時」という番組をやっていた。過去につらい人生を送ったが今は幸せにしている女性を集めて紹介する番組らしい。番組の中の前振りで、「元アイドル歌手で、引退後に投資家に転身して大成功を収めた人」が出ることを紹介していて、つい引き込まれてしまった。

 80年代のアイドル。毎日2~3時間の睡眠で休みなく働いても、月給は7万円。結局、売れないまま引退。その後、結婚したが、妊娠中に夫が癌を発病。出産後に死別。あまりのショックに、夫の幻覚をみるようになり、自殺まで考えたが、子供の笑顔を見て正気に戻り、シングルマザーとして頑張り始めた。

 彼女は、夫と、かつてよくデートした思い出の場所に土地を買った。この土地が後に開発されて地価が急上昇。それ以来、不動産投資を勉強し、今では、資産10億を超える長者になったという。さてそれは誰? 出てきたのは沢田富美子さん。 え~~~!  この人だったのか。

*     *     *

 最近は、歌謡曲を聴くことは無くなってしまったし、大勢いるアイドル歌手は誰が誰だか区別もつかないが、高校生の頃は、人並みに聴いていた。当時、僕は渡辺プロダクションの「タレント友の会」というのに入っていて、情報誌が毎月送られて来た。その情報誌で沢田富美子さんのデビューを知ったのだった。かわいい人だった。

 僕の家にはレコードを聴くためのステレオのセットがなかった。だから、レコードを買うと、中学校の頃の部活の先輩の家に遊びに行き、これをカセットテープに録音させてもらっていた。彼女の2枚目のシングル(上の写真)が気に入って買ったときも、この先輩の家に行った。そのとき、先輩が言った「この人どうして売れないんだろうね」という言葉を今でも覚えている。

 確かに。あの当時のアイドル歌手って、見た目が最優先だった。彼女の容姿から言って、売れないはずがない。歌唱力だって悪くない。先輩の言葉にはそういう意味が込められていたことはよくわかったし、僕もそう思った。でも、彼女の出る番組を捜そうとして、新聞のテレビ欄を観ても、なかなか見つからない。彼女がテレビで歌っている姿を見た記憶がない。もともと僕はテレビをあまり観ない方だったが、そんな人間でも、街で音楽なんかいくらでも流れているから、何が流行しているかくらいはわかるものなのだ。でも、彼女に関する情報は、ナベプロタレント友の会の情報誌のみ。

 そして、いつの間にか、彼女は芸能界からいなくなってしまった。歌手として成功できる人は、大勢のうちのほんの一握りである。そんなことはわかっている。しかし、彼女が、シングルをわずか3枚出しただけで消えてしまうような歌手であったとは到底思えない。そのことに対して、何か釈然としない、理不尽なものを感じていた。なぜなんだろう。彼女自身よりも、むしろプロデュースする側に問題があったような気がしてならなかった。

 でも、今、そのことを詮索しても始まらない。その人の容姿とか、歌唱力とか人柄といった、本人の素質の他に、その時代の人たちの求めるもの、ライバルの存在、作曲家、作詞家、プロデューサーとの縁など、外的な要因も、みな成功できるかどうかに深く関わってくるのだと思う。彼女はそうした縁に恵まれなかった。そう考えるしかない。

*     *     *

 そうか。彼女、元気にしてたんだ。いや元気どころではない。絵に書いたようなサクセスストーリーではないか。昔の疑問が吹っ切れた。この人は、歌手で成功しなかったけど、別の才能を生かすべき人だったんだ。結婚、妊娠、出産という、普通の夫婦だったら幸せの絶頂であったはずのときに、夫と死別した。その絶望感は、想像を絶する。でも、神様は見捨てなかったんだね。よかった、よかった。

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イモトアヤコさんのこと その2 [テレビ]

 今年の2月の終わりに、「イモトアヤコさんのこと」という記事を書いた。そのとき、「彼女は、ネタをやらなくても、素のままで面白い人だから、珍獣ハンター以外にも、色々な仕事をこなせそうだ」と期待を込めて書いた。あの頃、ネット記事を彼女の名前で検索しても、ほとんど情報がなかった。しかし、24時間マラソンのランナーに決まって以来、相当な数の記事がヒットするようになり、You Tubeでもかなりたくさんの映像が見られるようになった。これはすごいことだと思う。

 彼女は「イッテQ」の企画でアフリカのキリマンジャロに登ったときに、「自分はネタも出来ないし、芸人としての土台が何もないから、このままでは確実に消える」、と悩みを吐露していた。たしかに、芸人は、みんな舞台でネタを披露することから始まるのが普通の道のようだ。でもテレビの第一線で活躍する人たちは、ネタから出発した人であっても、やがてフリートークに場を移していく。

 僕は芸能界に通じているわけではないけれども、一視聴者として感じた印象を言うなら、ネタは演劇の一種で、台本を書き、その通りに演じる稽古をし、稽古の通りに舞台で演じるもの。それに対してフリートークは、その場の雰囲気を瞬時に読み取って、気の利いたコメントを言って人を笑わせ、ときに誰かがスベっても、それをフォローして強引に笑いに結びつけるだけの実力が要求される。ネタが「訓練」を主とするものであるのに対して、フリートークは、天性の才能がものを言う世界なのではなかろうか。

 イモトアヤコさんを見ていると、確かにネタをやっている映像はネット上で、一つしか見つけることができなかった。でも彼女の場合、そういうオーソドックスなステップを踏む必要がなかったのだろう。23歳の女性で、コモドオオトカゲに追いかけられたり、チーターと競走したり、ワニを素手で掴んだり、芋虫を食べたりし、しかも、それなりのリアクションが取れて、姿だって(とびきりの美人ではないけれども微妙にかわいい)テレビ映えする人が、日本中探してどれだけいるだろう。

 バラエティ番組に出てくるバラドルと言われる人たちや、普通の女性芸人たちは、みな役割が似ている。だから「この人が駄目ならあの人」と言う風に入れ替えが容易に利く。しかし彼女の代わりを見つけるのは至難の業であろう。ライバルがいない、いわば「独走状態」なのだ。これは大いなる強みだと思う。

 テレビでチラチラと聞こえてくる話では、タモリとか欽ちゃんとか、お笑い界の大御所たちが、こぞって彼女を「いいねえ」と褒めるのだそうだ。もしかしたら、彼ら大御所たちは、自分達が駆け出しの頃に、ガムシャラに仕事をした時代のことを、彼女の姿に重ね合わせているのではないだろうか。イッテQで、どんな難題を課されても、(多少は尻込みをしても)なんとかこなして、しかもそれを笑いに結びつけてしまう。そういった天性の才能が、大御所たちを「いいねえ」と唸らせるのだろうと想像する。

 自分にも覚えがある。自分の若い頃の仕事の仕方にそっくりな若い奴を見ると、自分自身がいいセンスを持っているかどうかは棚に上げつつ、「こいつ、いいセンスしてるな」と、などと思ってしまうものだ。お笑いの大御所たちは、長いこと芸能界にいて、いろいろな人の浮き沈みを見てきた人ばかりだ。そういう人たちから良い評価をされるならば、これからの努力次第で「このままでは確実に消える」などという不安は、やがて消えていくだろう。

 先週の日曜日の日本テレビの24時間テレビでは、膝に爆弾を抱えつつ、見事に126キロを完走した。僕は生放送の”間”の悪さが大嫌いで、ここ数年は見ていなかったが、今年は夜更かしをしてまで見てしまった。今まではマラソンにも興味が無かったが、先日、東京湾一周徒歩の旅をやったおかげで、フルマラソン42.195キロとか、その3倍の126.585キロという距離が、自分の体力と結びつけて考えられるようになったこともあり、興味津々で見た。

 朝7時にスタートし、翌日の夜9時、残念ながら番組の時間内にゴールせずに選挙特番になってしまったが、そのまま見続けた。選挙の結果より彼女の方が心配だった。ようやく東京ビッグサイトにゴールするシーンが放送されたときは、感動してもらい泣きしてしまった。「チャリティとマラソンは無関係だ」という人もいる。かつて僕自身がそうだった。でも今年は、純粋に面白かった。今後の彼女の活躍がますます楽しみだ。体を壊さないか心配だけど、若い頃なら多少の無理はきく。これからも頑張って、円熟したエンターテイナーになって欲しいと思う。
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イモトアヤコさんのこと [テレビ]

 昨年、日曜の夜8時はNHKの大河ドラマの「篤姫」をずっと見ていたが、これが終わってしまってから、新しいのを見る気がしない。戦国時代のドラマって、個人的にはちょっと食傷気味だ。今年に入ってからは、日本テレビの「世界の果てまでイッテQ」を、毎週楽しみに観ている。「珍獣ハンターイモト」のコーナーに出てくるイモトアヤコさんが、面白くて面白くて、僕の笑いのツボにぴったりとハマってしまった。

 最近、「珍獣ハンターイモトの動物図鑑」という本が出たので、さっそく買ってみた。あのコーナーがそのまま本になったような本。彼女のファンになら、お勧めできる。図鑑として見た場合、熟読すると、ところどころ興味深いことが書いてある。(詳細は省く)でも、できればDVDの方がよかったな。あの面白さは本では伝わらないと思うので。
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 イモトアヤコさんは、位置づけとしては「お笑い芸人」なんだそうだが、ネタをやらなくても「素」で面白い人だ。番組で彼女のやっていることは、昔の稲川淳二がやっていたような汚れ仕事ばっかりで、こういう仕事をこなせる女性タレントというのは、そう簡単には見つからないと思うので、それはそれでよいと思う。でも何だか他にもいろいろとこなせそうな人に見える。これからもウォッチングを続けよう。
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宮崎あおい、篤姫になる! [テレビ]

 2006年5月1日の日記に、宮崎あおいさんのことを書いた。当時出演していた、NHKの連ドラ「純情きらり」を観て、この人は単に可愛いだけではなくて、大変な実力者だと思った。その年の秋頃、彼女が2008年の大河ドラマの「篤姫」の主役に史上最年少で選ばれたというニュースを聞いた。嬉しかった。なにしろ大河ドラマの主役だ。脇役ではないのだ。それだけですごいことななのに、しかも史上最年少。自分の応援している役者さんが、認められたのだ。

 時間の経つのは速いもので、それからもう2年近くになる。そして明日いよいよ、篤姫の放送が始まろうとしている。昨日、本屋に寄ったときに、NHKのドラマの解説本を売っていたので、買ってしまった。この表紙の写真。番組宣伝用のポスターらしいが、もう、いかにも「篤姫」だ。

 本物の篤姫の写真は、ドラマが話題になっている関係で、最近あちこちで見ることができるが、貫禄たっぷりで、こう言っては何だが「姫」というよりもコワ~イ「天璋院様」である。でも、このポスターの写真は、か細いけれども、ものすごく芯の強い女性のイメージが伝わってくる。久々にドキッっとさせられるような女性像を見た。ふだんはニコニコしていて可愛いのに、人を正面から射抜くようなこの視線。なんてすごい・・・。

 時代は幕末の動乱期。僕の好きな時代だ。今度のドラマも面白そうだ。


宮崎あおいさんのこと [テレビ]

 4月から始ったNHKの朝の連ドラ、「純情きらり」。ヒロインの桜子を演じる宮崎あおいさんが気になっている。彼女は、少し前、「NANA」という映画で観た(出張のときに飛行機の中でちらっと見ただけだったからストーリーは覚えていない)、歌手の中島美嘉さんと共演した女優によく似てると思っていたが、純情きらりの役どころが女学生で、「NANA」のときの役の年齢とずれているので、別人かと最初思っていた。しかし、調べてみたら、同一人物だった。

 ストーリーの中で、桜子の通う女学校の行事で、クラスの合唱の伴奏を、ジャズ風にアレンジしてピアノで弾いたことが問題になり、そのことで、一週間の停学と反省文の提出を命じられた。教師にあくまでも謝ろうとしない桜子は、父親にぶたれる。そのときの、驚きとショックの入り混じった表情が、なんとも印象に残った。彼女は笑顔のとても愛らしい人で、そのことだけでも目を引くが、ドラマを観ているうちに、単にかわいいだけでなく、大変な実力派だということがわかった。

 最近では、下宿人の斉藤と恋をして、斉藤の気持ちを姉から告げられたときの表情。これもまた素晴らしかった。テレビの画面を写真に撮ってみたが、写真では、やっぱりそのすごさはわかりにくい。演技というのは、やはり動きなのだ。変化していく表情の一瞬が輝くのであって、一瞬だけとりだすのは至難の業である。

 これから半年の間、彼女の演じる桜子を見ていくのが楽しみだ。(写真を載せると肖像権侵害になるんだろうか。でもまあいいや、のせちゃえ。怒られたら削除します)



フランダースの犬 [テレビ]

 会社で隣りの職場のWさんと雑談していたとき、犬の話になった。Wさんは昔飼っていた犬に「フランダース」という名前をつけていたそうだ。
「フランダースの犬ってわけですか」
「そのまんまだろ? あははは。」
 「フランダース! カモン!」とか「フランダース! お手!」とか言っていたのだろうか。いかにもウケを狙ったネーミングである。これには笑えた。

 「フランダースの犬」といえば、昔テレビでアニメ化されて一世を風靡したあの名作である。カルピス子供劇場で、「アルプスの少女ハイジ」の後の番組がこれだった。僕はリアルタイムで見ていた世代だった。
 ところで、この番組、当時僕はいまいち好きになれなかった。見ていてなぜかすっきりしなかったのだ。この作品は、当時見ていた子供たちが母親になって、自分の子供に見せているというくらいの名作。にもかかわらず、なぜ僕は好きになれなかったのか。当時の自分は、それほどへそ曲がりだったのだろうか。名作には違いない。それにしても・・・。考えこんでしまった。そして、しばらく考えて、ようやく理由らしきものがわかってきた。

 当時、テレビで放送していた子供向け(特に男の子向け)の番組というのは、悪者がでてきて、それを正義の味方がやっつけるというパターンばっかりだったのだ。「ウルトラマン」や「仮面ライダー」なんか、みんなそうだった。「ドラえもん」だってジャイアンにいじめられたのび太をドラえもんが便利な道具を出して助けるような構図になっている。つまり勧善懲悪が基本だったのだ。大人向けの番組だって同様。「水戸黄門」「銭形平次」「遠山の金さん」のような時代劇から現代の刑事ものなんかもみんなそうだ。つまり「善」=「強」が基本なのである。

 ところが、「フランダースの犬」は違ってた。理不尽な目にあってもひたすら耐えるネロが、どんくさく見えた。子供の頃の僕は「お前そんなことされて、くやしくないのか?」と歯がゆく思ってたのだ。今思えば。そこで、ちょっと最後の方で物語を捻じ曲げたらどうなるか、勝手きままに空想してみた。

 ネロが雪の中で、アロアの親父の金を拾ったとき、それを馬鹿正直に届けるのが本来のストーリーだが、ここでネロの心の中で葛藤がおこることにする。「これをネコババして逃げようか・・・」と。そして、その通りにしてしまう。
 ネロはアントワープに出て、その金を資金にして非合法組織を立ち上げ、大もうけする。アロアの親父は金を落として会社が倒産。やがて闇の帝王になったネロは、アロアを愛人にし、昔自分をいじめたアロアの親父を使用人としてこき使う。ネロは「暴君ネロ」と呼ばれて人々に恐れられる。

 そして恐れ多くも教会の神父からルーベンスの絵を騙し取り、ご対面。感動しているところを、飼い犬のパトラッシュに噛まれて死ぬ。ラストシーンでは、アロアの「ネ~~~ロ~~~~!!」という叫びがこだまする。ってのはどうかね。

 冗談はともかく、この作品のよさは今にしてよくわかる。本当の強さというのは肉体的に強いことだけではなく、どんな状況に置かれても、自分の正義や信念を貫き通すことなんだ。ネロは子供であり、かつ貧しく、つまりは社会的弱者であったけれども、弱者なりにそれを貫いて死んだ。だからこの作品は、名作として時代を超えて愛されているのだと思う。まあ、いささか出来すぎた子供だという考え方もあるが・・・。


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