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囲碁、その後 [雑文]

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久しぶりの更新。ひとつ前の記事が2019年1月13日だった。なんと半年以上の期間が開いてしまった。

 最大の原因は、山登りを自粛したこと。そもそもこのブログの最初の目的はプラモだったのだが、趣味がいろいろと変遷して、1年ほど前は1 か月に一回くらいのペースで山に登っていて、気に入った山があるとその記事を書いていた。しかし両親の体調が悪くなり、今年からは万一のときにすぐに帰郷できるように山に入るのをやめたのだった。何しろ山登りは途中でやめられない。(強制終了するにはヘリが必要になるし)

 それともうひとつ。工作関係(プラモ含む)のモチベーションがダダ下がりになっている。工作の作業机は埃をかぶったまま、半年以上放置状態だったので、先日掃除をした。

 では代わりに何に時間を費やしていたかというと、囲碁と将棋である。半年ほど前の記事に書いたが、囲碁の通信教育を受講し始め、それから将棋の段級位チャレンジを始めた。しかし、この二つは、ブログの記事にしにくい。専門的なことを書きすぎると、内容を知っている人は知っているが知らない人は全くわからない、実にマニアックなブログになってしまう。

 囲碁を習い始めたのは、親父が元気なうちに打ちたいと思ったからである。(もう親父もいい歳だし) 通信教育は入門用の6か月コースだが、在籍期間ギリギリの12か月かかって、近々ようやく終わる見通しになった。先日、お盆に帰省したとき、親父に9月の終わり頃(いちおう通信教育が終わる予定の頃)に、9子で打ってもらう約束をしたところである。

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 今年2019年4月に仲邑菫(なかむらすみれ)さんという10歳の女の子が、囲碁のプロ棋士になったというニュースがあった。日本棋院の史上最年少記録だと言う。父親もプロ棋士なのだそうで、僕はこれを初めて聞いたとき、10歳の子供なんて、まだいろいろな世界を見てじっくり人生を決めればいいのに、職業を決めてしまうなんて親馬鹿の極みだろうと思った。

 少し話がそれるが、2017年に大学時代の恩師が亡くなり、昨年の秋にOBが集まって、先生を偲ぶ文集を作った。いろいろなOBが「先生からこんな話を聞いた」とか、「こんなことを教わった」とか、思い出を語っていたのだが、その中に一つ印象深い言葉があった。「研究に必要なのは頭の良さではない、頭の強さである」

 頭の強さとは、一つのことを集中して考えられる集中力や持久力のことを言っているらしい。いくら頭が良かったとしても知的好奇心とか探求心と言ったものは、ある程度の長い時間あるいは期間、持続しなければ考察を続けられない。それができなければ研究の成果は出ないのである。

 仲邑菫さんは10歳にして一日7~9時間を囲碁の勉強にあてているらしい。振り返って自分は、人生の中で一番勉強したのはいつだろうと思い起こしたが、これは浪人時代の年明け、大学入試の直前に一日10時間くらい勉強していたことがあった。これが最高記録である。(後にも先にもこんなことはない)

 普通10歳くらいの子供というものは、何かして遊んでいても興味関心が長続きせず、すぐに別のことをやりに行ってしまうものである。そんな小さな子が大学受験の頃の僕と同じくらいの時間を毎日勉強に充てている。

 10歳にしてそれだけの集中力を持てるのは、まさに恩師の言うところの「頭が強い」ことに他ならない。囲碁の棋士にならずに普通に進学すれば学者になるくらいの頭脳の持ち主なのだと思われる。親馬鹿の極みだなどと、最初は思ってしまったが、そんな凡人の考えが当てはまるような人ではなかった。反省。

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 天才はさておき、凡人たる僕の学習状況について。コースの仕組みとしてはテキスト1冊を原則1か月のペースで終わらせて、問題を解いて本部に送る。すると添削して点数をつけて返送してくれる。これを6冊分やることになっていて、今5冊終わって6冊目に入っている。凡人だから集中力がなく、やり始めてすぐに他の遊びを始めてしまったりして、仲邑菫さんとの格の違いがあからさまに現れている。お恥ずかしい。

 そんな中で気づいたことがある。囲碁っていうのは絵画みたいなもの、つまり碁盤の上に石を並べて模様を描いていく作業なんじゃないかな、ということ。それを白黒交互に打つことで、上手に自分の勢力を広げていくわけで、そのときに、どの位置に打つかとかどうやって勢力を広げるかとか、どうやって相手の勢力を削ぐか、などというのは、もしかしたら言葉で説明するのが難しいのではないか。テキストを読んでいてそう思う。

 芸術家が絵を描くとき、言葉で説明できるようなものは絵にしないのだという。囲碁の先生は、自分の感覚とか感性のようなものを、受講生に伝えるために一生懸命に説明してくれるが、どうもそれが抽象的でわかりにくい。「もうちょっとわかりやすい説明ができないもんかな」、とずっと思っていたのだが、もしかしたら、絵のような言葉で説明しにくいことを敢えて言葉にしようとするから、こういうことになるのではないか、と思えてきた。

 ・・・というのが、囲碁というものがおぼろげながら見えてきた、今の段階での印象である。これからもっとちゃんと打てるようになると、別のものに見えてくるのかもしれない。上達して先生に近い感性が身についてくると、このテキストのわからない部分も、わかるのかも知れない。(あの頃は一体何がわからなかったんだろう、こんな親切に書いてるのに。なんてね)それがちょっと楽しみである。

【2019年9月10日追記】
 通信教育の全課程を修了し、提出課題の点数から6級の判定をいただいた。満足満足。

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