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ひぐらしのルーツ(6) [雑文]

(つづき)
 吹上の家というのは、今風に言えばシェアハウスみたいなもので、一軒の家を複数の夫婦がルームシェアの形で借りていたらしい。夫婦二人で住むにはそれでもよかったが、昭和38年に僕が生まれて以来、子供が2人になり狭くなってしまったので、社宅(推定、借上げ社宅)に引っ越すことになった。つまり僕にとっての吹上時代は1年に満たない、ごく短い期間であった。

 さて次の家の場所である。グーグルの地図でJR五井駅と養老川の河口が同時に入る範囲を示してみる。国道16号線の南側、養老川の東側、吹上橋(五井大橋付近)よりも北側でだいたい特徴的な急カーブのあたりまでの地域はかつて「カシ」と呼ばれていた。「カシ」には今回、とりあえず「川岸」という漢字をあてておく。(注1)
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 急カーブのあたりを拡大する。旭硝子の千葉工場があり、国道16号線を挟んで反対側にガソリンスタンドがある。
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 このあたりをさらに拡大すると、下図になる。同じエリアを写真にもしてみる。この赤く塗ったところに「川岸の家」があった。当時は家のすぐ近くに小川が流れていたが、現在はかろうじて細い水路になって残っている。
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 下の写真は、おそらく川岸の家に引っ越した直後と思われる。服装と僕の顔つきからみて昭和38年の秋ごろではないだろうか。
aa.jpg

 それからもう一つ、こちらは着ているものから推して昭和39年の1月とか2月の寒いころだと思われる。お袋によると、この頃はそろそろ伝い歩きができるようになっていたが、歩くより這う方が速く、しかもスピードが尋常ではなかったという。掌にタコができていたそうである。
bb.jpg

 この写真のときから少し時間が経過して、外に出て歩けるようになった頃のある日に、僕の人生の最初の記憶がある。これ以後は、両親の話だけではなく、自分自身の記憶として残っている話が中心になるのだが、そういう話は「ひぐらしのルーツ」というタイトルで語る範囲を逸脱している。よってこのシリーズは物心がつく前までのところで閉じようと思う。

 地図の中にある、国道16号線、ガソリンスタンド、急カーブ、水路、送電鉄塔、これらはすべて記憶の手掛かりであり、なおかつ自分の心の中に残っている原風景である。今後、「ひぐらしの幼年日記」を書く折りがあると思うので、そのための布石を打っておいた。

 長々とお付き合いありがとうございました。

*****
(注1)
 「カシ」という呼び名も吹上(ふきあげ)と同じで、今は正式な地名としては残っていない。「カシ」の漢字は「川岸」と「河岸」の2通り考えられるのだが、昔、五井の町を走る小湊バスの、この地域にあった停留所で「川岸(かわぎし)」という所があったので、案外これが「カシ」の名残をとどめていたのかもしれない。
 ただ、僕の考えでは、元々は "魚河岸" の "河岸" だったのではないかと思う。というのは、この辺一体は、かつては漁村だった。つまり東京湾で水揚げされた魚介類が、養老川を通して内陸に持ち込まれて商取引が行われていたのではないかと思うのである。そして "河岸" が、地元の人の習慣でなんとなく "川岸" に置き変わってしまったのではなかろうか。そもそも昔の地名なんていい加減なものだ。政府が公式に決めていなければ、時代とともにどんどん変化していく。
 なお、小湊バスのバス停「川岸(かわぎし)」を走っていた路線は、今では廃止されてしまったようだ。

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