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剱岳に登る(1) [登山]

 2009年6月、新田次郎の「劒岳<点の記>」という小説が映画化された。僕はこれを見て大変感動し、いつかこの山に登ってみたいと思った。ただ、「日本で一般人が登る山の中では危険度は最高レベル」と言われる山だから、そう簡単に行けるものではないだろうなとも思っていた。
(参考)過去記事のURL
「劔岳<点の記>」を観た
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20

 それから4年が過ぎ、今年の始めに、姉の所属する山岳会の定例山行の行先が剱岳に決まったと聞いた。これはチャンスだと思ったので、会員ではないが特例で是非参加させて欲しいと頼んでおいた。4年も経験を積んだのだから、もうそろそろ行ってもいい頃かなと思ったのだ。山行は8月に決まった。メンバーはNさん、Iさん、姉、僕の4名である。

 剱岳のことを知らない人のために、ちょっとだけ解説。この山は、日本地図の最後の空白点、つまり前人未踏の地として、最後まで残った場所だった。これには山自体が険しくて容易に登れないという物理的な理由のほかに、宗教的な理由があった。つまり立山信仰で剱岳は死の山(針の山)であって、人間が登ってはいけない山であると位置づけられていたのである。

 小説「劒岳<点の記>」によると、明治40年、帝国陸軍の陸地測量部が剱岳に公式に初登頂に成功した。この時期、つまり日露戦争直後のタイミングで登頂したのは、表向きには国防上の理由だったが、裏には、同時期に設立された日本山岳会との競争があった。遊びで山登りをやっている連中に帝国陸軍が遅れをとってはならないという、いわば軍人のメンツを保つために、陸地測量部が使われたということである。

 ただしこの小説は、創作と事実の乖離が大きいようだ。小説では、日本山岳会の登頂は、陸地測量部にわずかに遅れ、陸地測量部が勝利したということになっている。しかし実際に日本山岳会が登頂したのは、陸地測量部が登った2年後であったという。つまり小説の中に描かれている先陣争いは、物語を面白くするための脚色らしい。

 映画の中のセリフで、案内人の宇治長次郎は、陸地測量部の柴崎芳太郎に、剱岳に登頂する経路は次の3通りが考えられると話している。これらは現代でも、登山者が使う経路になっている。
1)西側へ伸びた長い尾根に取り付いて登る道(早月尾根ルート)
2)剱御前から尾根伝いに剱岳を目指す道(別山尾根ルート)
3)剱沢へ降りて東面から取り付く道(長次郎谷ルート)
 
 映画では、3)の経路で登った。今回我々は2)の別山尾根を通って登る。

(つづく)
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