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靖国問題から歴史を学ぶ [歴史]

 高校の世界史の授業で忘れられない思い出がある。あるとき突然指名され質問された。「ひぐらし君、帝国主義って何?」

 子供の頃から、社会科は苦手な科目だった。授業も結構いい加減に聞いていた。帝国主義とは何か。冷や汗たらり。字面から考えて適当に答えてみた。「はい、皇帝が自分の国に『なんとか帝国』って名前をつけて治めることです」 後ろで聞いていた教育実習生のくすくす笑う声が耳について離れなかった。

 正解は、「自分の国の領土を外に向けて拡張していこうとすること」である。でも、それを聞いても、「ふ~ん、そういうことか」というくらいの印象しかなかった。しかし恥をかいたことで、この言葉は、それ以後、忘れられない言葉になった。

 それから時は流れ・・・。小泉さんが総理大臣になって間もない頃、靖国神社に公式参拝し(今でもやってるけど)、中国と韓国がこれに抗議したことが話題になっていた頃。タクシーに乗って、ラジオからこのニュースが流れたとき運転手さんが言った。
「靖国神社もA級戦犯を一緒に祀ってあるからいけないんじゃないですかねえ」
 僕は「そうですねえ」としか答えられなかった。このとき、この問題について自分が何も知らないということに初めて気づいた。

 それから、いろいろと調べものをした。
・中国と韓国はなぜ、首相の靖国神社参拝に抗議するのか。
という疑問から始まり、以下順に、
・A級戦犯というのは何なのか。
・極東軍事裁判というのはどんな裁判だったのか。
・日本はなぜアメリカに宣戦布告したのか。
・日本はなぜ満州国を作ったのか。
と遡り、ついに、
・帝国主義とは何なのか。
というところまで辿り」ついた。

 現代の問題に対して「なぜ?」という疑問を抱き、その答えを探そうとしたとき、それは、歴史を学ぶ強い動機となる。学校を卒業して、自分が歴史を勉強することになろうとは思ってもみなかった。そして、かつて自分にとって単に「世界史用語集」の中の用語にの一つに過ぎなかった「帝国主義」という言葉が、実は現代社会の有り様につながる非常に重要なキーワードであることがわかってきた。

 このいきさつの中で考えたことがある。「戦争はいけないことだ、戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度とこの過ちを繰り返さないようにしよう」という取り組みが、あちこちでなされている。それはそれで大切なことだと思うのだが、不足している部分があると思う。というのは、こういう語り部たちには、「個人」の視点しかないのである。東京大空襲を体験した人、広島の原爆投下の地獄を見た人、彼らの語る話には戦慄を覚えるが、それだけが戦争の実態ではないはずである。こういう話だけを聞かされて育った子供は、対策を考えずに単に「戦争反対!」を叫ぶだけの大人になりそうな気がする。

 第二次世界大戦、ひいては太平洋戦争がどういういきさつで起こったのかを「国」の視点で語り次ぐ必要がある。つまり当時の政治指導者が、どんな情勢の下に、どんな政治判断をしたのか。それを知らないと、単に戦争は悪だとか戦争は悲惨だとかいう感情論になってしまう。そうるすと、どういう外交をすれば戦争を避けることができるのか、優れた政策を練る政治家を育てるための土壌がどんどん貧弱になってしまうと思うのだ。

 国の視点で語り次ぐためにはどうしたらよいか。それはやっぱり歴史の教科書を充実させるしかないだろう。高校時代の世界史の教科書を読み返したが、単に「日本は極悪だった」と言っているに過ぎなかった。

 僕の認識。当時の日本は、帝国主義という弱肉強食の世界の中で「戦って勝つか、戦わずして欧米の植民地になるか」の選択を迫られた。そして戦う道を選び、結果として負けた。戦うこと以外にどんな政治判断があったんだろうと思って、たまに思いついたことを、シミュレーションしてみるのだが、どうしても悲惨な結果や、わけのわからない結果しか出てこない。どう転んでも結局、世界が成熟して行く過程で、あの辛い時代を通過しなければならない運命にあったのだと思う。今の我々には「歴史に学んで、その教訓を未来に生かす」ことしかできない。それはあたかも一人の人間が青春時代に辛い思いをして、その経験を後の人生に生かすのに似ている。

 歴史を学ぶのは、私人でなく、公人としての人生経験を学ぶことなんだと思う。このことがわかってから、僕は過去何度か、靖国神社に参拝してきた。つらい時代に生まれ、「九段(靖国神社)で会おう」と言って国のために死んでいった英霊に、今の平和を感謝するために。


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