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スランプ対策のタコさんウインナー [雑文]
スランプなので、タコさんウインナーを作ろうと思った。スーパーにいったら、切り込みのあるものを売っていた。「タコになります」って書いてある ので、それを買って焼いてみた。そしたら、タコになった。目まである。でもなんか、いまいち。
なお、話題が唐突に見えるかも知れないが、別段、頭がおかしくなったわけではないので、ご心配なく。ただし、頭がおかしい人は自分が正常であると言い張る傾向があるらしいので、本当は、ちょっとおかしくなったかも知れない。(笑)


なお、話題が唐突に見えるかも知れないが、別段、頭がおかしくなったわけではないので、ご心配なく。ただし、頭がおかしい人は自分が正常であると言い張る傾向があるらしいので、本当は、ちょっとおかしくなったかも知れない。(笑)


スランプ [雑文]
禁煙のその後 [生活と健康]
昨年の9月にタバコをやめてから、7ヶ月が過ぎた。それで、会社の仕事仲間と飲む機会があったときなど、その話題になったとき、結構な頻度で聞かれる質問がある。「今でも禁煙は続いているのですか」
この質問をする人は、僕がこの7ヶ月の間ずっと我慢してきたのだと思っているらしい。それは誤解である。同じ誤解をしている人のために、これを解きたいと思って一筆書くことにした。
昨年の9月の記事を読んでもらえればわかる(⇒カテゴリー「生活と健康」)通り、僕はニコレットという禁煙補助剤(ガム)でタバコをやめた。この薬は「タバコを吸いたくなくなる薬」ではなく、ニコチンが体から抜けるときにおこる離脱症状(いわゆる禁断症状)を緩和する薬である。だからちょっとだけ根性が必要である。僕の経験では3日目に離脱症状のピークが来て、一週間で薬が不要になった。
それから7ヶ月経った今、どうなっているかというと、普段の生活では、自分が昔、喫煙者であったことを忘れている。(注1) 速い話、体からニコチンが抜けてしまって、それを必要としない体になったら、もう我慢をする必要がないのである。
離脱症状を耐えたときは大変だったし、乗り切ったときは非常に充実感を感じた。この方法を広めたいと思って、タバコを吸う人に語るようにしている。でも、そのあと7ヶ月吸わなかったというのは、大変でもなんでもない、普通のことなのである。つまり体質が変わった(中毒ではなくなった)後なので、我慢しているわけではない。吸わない人になったのだから吸わないのが当たり前なのである。
僕の言いたいこと、わかってくれるかなあ。
(「我慢している」ならば、それは「中毒が治っていない」ということなのです)
***
(注1)ごく稀に、1ヶ月に一回くらい、吸いたいと感じることがあるが、それは一瞬(3秒くらい)で通り過ぎてしまう。なぜこうなるのかわからない。とにかく稀にこうなる。以前の吸いたい気持ちが100であったとすると、今は0.01くらいである。ほぼゼロではあるが完全なゼロではないのだ。それがちょっと悔しい。
この質問をする人は、僕がこの7ヶ月の間ずっと我慢してきたのだと思っているらしい。それは誤解である。同じ誤解をしている人のために、これを解きたいと思って一筆書くことにした。
昨年の9月の記事を読んでもらえればわかる(⇒カテゴリー「生活と健康」)通り、僕はニコレットという禁煙補助剤(ガム)でタバコをやめた。この薬は「タバコを吸いたくなくなる薬」ではなく、ニコチンが体から抜けるときにおこる離脱症状(いわゆる禁断症状)を緩和する薬である。だからちょっとだけ根性が必要である。僕の経験では3日目に離脱症状のピークが来て、一週間で薬が不要になった。
それから7ヶ月経った今、どうなっているかというと、普段の生活では、自分が昔、喫煙者であったことを忘れている。(注1) 速い話、体からニコチンが抜けてしまって、それを必要としない体になったら、もう我慢をする必要がないのである。
離脱症状を耐えたときは大変だったし、乗り切ったときは非常に充実感を感じた。この方法を広めたいと思って、タバコを吸う人に語るようにしている。でも、そのあと7ヶ月吸わなかったというのは、大変でもなんでもない、普通のことなのである。つまり体質が変わった(中毒ではなくなった)後なので、我慢しているわけではない。吸わない人になったのだから吸わないのが当たり前なのである。
僕の言いたいこと、わかってくれるかなあ。
(「我慢している」ならば、それは「中毒が治っていない」ということなのです)
***
(注1)ごく稀に、1ヶ月に一回くらい、吸いたいと感じることがあるが、それは一瞬(3秒くらい)で通り過ぎてしまう。なぜこうなるのかわからない。とにかく稀にこうなる。以前の吸いたい気持ちが100であったとすると、今は0.01くらいである。ほぼゼロではあるが完全なゼロではないのだ。それがちょっと悔しい。
Mちゃんとその息子(2) [雑文]
(つづき)
Kr君は僕の家に一晩泊まり、翌日25日(日)は一緒に東京見物をした。
まずは有明の東京ビッグサイトで「東京モーターサイクルショー」の見物。かっこいいオートバイがたくさん展示してあったが、その中で一際目を引いたのはこれ。なんとサイドカーの霊柩車。え~~~? びっくり! (見物人はみんなびっくりしてた)「あの方にふさわしい「送るスタイル」が走り出します」・・・いくらバイク好きが死んだからって、遺族は遺体をサイドカーに乗せるかな。僕はバイク好きだけど、これはちょっと・・・いや、エンジニアがそんな既成概念を持っていては駄目か。(笑)



さて、次は東京スカイツリー。都営大江戸線で浅草まで行き、地上に出て隅田川に向かって歩いてみると、東の方にスカイツリーが見える。これの足元には東武鉄道の駅(注1)があるのだが、たった一駅だし、天気が良かったので浅草から歩いて行くことにした。
Kr君とスカイツリー。

隅田川を往来する水上バス。

東京スカイツリーを間近で見る。高いというより巨大という表現がぴったりだ。世界一高い塔が、日本みたいな地震の多い国にあることがすごい。地震が起きたときにどんなことが起こるんだろうと思う。まあ、大昔の五重塔にすでに免震構造が付いていたというくらいだから、技術が進歩すればこんなものも作れるということか。大したものだ。


あとは、秋葉原の部品屋巡り。僕が秋葉原に来たときに一通り歩く場所を案内した。ゲームやアニメの町になってしまったかのように見えても、昔からの秋葉原らしい部分は健在である。実は前回来たとき、あるジャンク屋さんに、中国製の二連エアバリコンが陳列されているのを見つけた。買うかどうか迷ったが、結局そのときは買わなかった。今回、それがまだ有ったので、これは何かの縁だと思い、買うことにした。店の兄さんに「あれいくら?」と聞くと「3500円!」とすごいドヤ顔で言われた。「どうだ、買うなら買え。高いって言うなら売らないぞ」という顔である。この手の部品屋さんというのは、客に対して非常に無愛想である。客の方も手厚い接客など期待していない。そういう業界である。


Kr君の買い物は半田ごて、こて台、半田。それからレーザーポインターなど。最後に、どこが一番印象に残ったかを聞いてみたら「秋葉原」という答えが返ってきた。やっぱり僕と同類の人間らしい。
(おわり)
(注1)
昔は「東武伊勢崎線」の「業平橋(なりひらばし)」という駅名。今は路線の名前が「東武スカイツリーライン」と変わり、駅名も「とうきょうスカイツリー」と変わった。
Kr君は僕の家に一晩泊まり、翌日25日(日)は一緒に東京見物をした。
まずは有明の東京ビッグサイトで「東京モーターサイクルショー」の見物。かっこいいオートバイがたくさん展示してあったが、その中で一際目を引いたのはこれ。なんとサイドカーの霊柩車。え~~~? びっくり! (見物人はみんなびっくりしてた)「あの方にふさわしい「送るスタイル」が走り出します」・・・いくらバイク好きが死んだからって、遺族は遺体をサイドカーに乗せるかな。僕はバイク好きだけど、これはちょっと・・・いや、エンジニアがそんな既成概念を持っていては駄目か。(笑)



さて、次は東京スカイツリー。都営大江戸線で浅草まで行き、地上に出て隅田川に向かって歩いてみると、東の方にスカイツリーが見える。これの足元には東武鉄道の駅(注1)があるのだが、たった一駅だし、天気が良かったので浅草から歩いて行くことにした。
Kr君とスカイツリー。

隅田川を往来する水上バス。

東京スカイツリーを間近で見る。高いというより巨大という表現がぴったりだ。世界一高い塔が、日本みたいな地震の多い国にあることがすごい。地震が起きたときにどんなことが起こるんだろうと思う。まあ、大昔の五重塔にすでに免震構造が付いていたというくらいだから、技術が進歩すればこんなものも作れるということか。大したものだ。


あとは、秋葉原の部品屋巡り。僕が秋葉原に来たときに一通り歩く場所を案内した。ゲームやアニメの町になってしまったかのように見えても、昔からの秋葉原らしい部分は健在である。実は前回来たとき、あるジャンク屋さんに、中国製の二連エアバリコンが陳列されているのを見つけた。買うかどうか迷ったが、結局そのときは買わなかった。今回、それがまだ有ったので、これは何かの縁だと思い、買うことにした。店の兄さんに「あれいくら?」と聞くと「3500円!」とすごいドヤ顔で言われた。「どうだ、買うなら買え。高いって言うなら売らないぞ」という顔である。この手の部品屋さんというのは、客に対して非常に無愛想である。客の方も手厚い接客など期待していない。そういう業界である。


Kr君の買い物は半田ごて、こて台、半田。それからレーザーポインターなど。最後に、どこが一番印象に残ったかを聞いてみたら「秋葉原」という答えが返ってきた。やっぱり僕と同類の人間らしい。
(おわり)
(注1)
昔は「東武伊勢崎線」の「業平橋(なりひらばし)」という駅名。今は路線の名前が「東武スカイツリーライン」と変わり、駅名も「とうきょうスカイツリー」と変わった。
Mちゃんとその息子(1) [雑文]
僕は生まれも育ちも千葉県市原市だが、ここはお袋の出身地である。親父は静岡の出身で、こちらの親類の多くは静岡に住んでいる。親父は滅多に静岡に帰らなかった(おそらく旅費の節約が主な理由だったと思われる)ので、結果、子供の頃から、父方の親類との交流はあまりなかった。従兄弟、従姉妹の人数そのものも少なかった。その中にあって、従妹のMちゃん(叔父の娘)とは、例外的に交流が多い方だったと思う。しかしMちゃんが結婚したあとは、付き合いはなくなっていた。
先日、3月の中旬の話である。Mちゃんから電話があった。実に15年ぶりである。突然どうしたのか。話を聞いてみると、子供の教育に関する相談だった。
4月から中3になる、長男のKr君がまるで勉強せず、困っているという。ここまで聞くと世間一般の親が誰でも抱く心配のように聞こえるが、Kr君の場合、幼い頃から持病があって、それに対する心配と複合している。母親の気持ちとしては、ちゃんとした大人に育てることができるのか、という不安が、普通の親に比べて強いようだ。本人は技術的な嗜好を持っていて、家電製品にやたら詳しかったりするらしい。だから、僕の現在の職業と関連付けて勉強する意味を教えてあげてくれないか、と言う。
すげームチャ振りだと思った。(注1)何しろ相手は一度も会ったことのない男子中学生である。相手にとっても僕は会ったことのない相手である。そういう相手から説教をされて、そもそも聞く耳を持つのかという素朴な疑問がある。しかし、まあ困っているときはお互い様だ。何日か考え込み、それなりに教育プログラムらしきものを作り、Mちゃんに送った。すると、なんとKr君は乗り気になっているという。そうかそうか。本人にやる気があるならば心配は八割方解消である。
3月24日(土)の夕方、辻堂駅で待ち合わせをした。初対面だから、一応、持ち物や服装の特徴を事前に知らせあった。写メールのある時代なんだから顔写真を交換すればよさそうなものだと言う人もあろうかと思うが、いざその時になってみると、自分の顔写真を送ることをためらう人の方が多いのではないだろうか。つまり「こんな見苦しい顔の写真を送れるか」ということである。結局僕は目印に自分のカバンの写真を送っておいた。
Kr君は、連絡通りの服装をしていて、すぐにわかった。しかもMちゃんの小学生の頃の面影があった。初対面ではあったが、すぐに打ち解けたと思う。やはり血のつながりがあるからだろうか。それとも同類の人間なのだろうか。夕食は僕の手料理をご馳走しようかとも思ったが、そちらに時間をとられるわけには行かない。だから外食にした。話したいことがたくさんあったのだ。
さて、家について何を話したか。それは「僕に子供がいたらこういうことを話すだろうな」と思うことである。まずは福沢諭吉の「学問のすすめ」。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言われているが、現実の世の中に、賢人と愚人、金持ちと貧乏人、いろいろな差があるのはどうしてなのか。福沢はその原因を学問をするかどうかの差であると説き「だからみんな勉強しよう」と啓蒙している。(注2)
それから、国民の三大義務の納税、勤労、教育の話。親の役割、子供の役割、僕の職業の話、Kr君の進路のシミュレーション、勉強の仕方、などなど。集中力が続くのはおそらく3時間程度であろうと思ったので、途中の休憩を挟んで、そのくらいの時間で話を終えた。Kr君にとって面白い話であったかどうかはわからない。しかし少なくとも反応があった。「つまりこういうことですね」と自分なりに咀嚼している様子が伺えた。なんらかの形で頭に残ってくれれば僕としては満足である。たまに会って話せることと言えば、この程度が限度だ。ベストは尽くした。あとはKr君がやるだけだ。
(つづく)
*****
(注1)
Mちゃんのムチャ振りには前科がある。インターネットが普及し始めた頃のことだから、もう20年くらい前だったと思う。Mちゃんの趣味はガーデニングで、バラの花を育てていた。そして、これの情報がインターネットでたくさん見られると言うことをどこかで聞きつけてきて、僕に電話をしてきた。あるサイトを開いて、そのページをプリントして送って欲しいと言う。
いいよ、と気軽に引き受けては見たが、やってみたら、すごいページ数になってしまって、引き受けたことを後悔した。本を一冊買った方がましだと思った。WEBサイトというのは情報機器で閲覧するものであって、紙に印刷するものではない。今の常識で判断すればそうなるが、ネットが普及し始めの頃はそんなもんだった。
今回のことを引き受けたとき、そのときのことを思い出して可笑しくなってしまった。
(注2)
「学問のすすめ」は岩波文庫のものを通読したことがあるが、学校で内容を教わったことはない。なぜ教えないのかと考えるに、現代の感覚とずれている部分があるからだと思う。この本は明治5年に書かれた本である。これから日本が近代化しなければならない時代に、民衆のほとんどが農民だった。その時代に「学問をすれば豊かになれる」という話はかなり説得力があったと思う。しかし、ホワイトカラーを「優」、ブルーカラーを「劣」とする記述は、ほとんどが農民だった明治初期ならまだしも、職業が多様化した現代においては、共産主義者でなくても違和感を感じるところだろう。また昔の本にありがちな人種差別的な記述(それは時代による考え方の差ではあるが)も散見される。
とは言え、学校に行きたくてもいけない人がたくさんいた昔に比べ、現代は当たり前のようにみんな学校に行くので、教育の意義と言うものがわかりにくい。それに今のような就職難の時代にあっては、職にありつけるかどうかに、学歴が露骨に影響する。だから最初にKr君にこの本の冒頭の部分を紹介した。
先日、3月の中旬の話である。Mちゃんから電話があった。実に15年ぶりである。突然どうしたのか。話を聞いてみると、子供の教育に関する相談だった。
4月から中3になる、長男のKr君がまるで勉強せず、困っているという。ここまで聞くと世間一般の親が誰でも抱く心配のように聞こえるが、Kr君の場合、幼い頃から持病があって、それに対する心配と複合している。母親の気持ちとしては、ちゃんとした大人に育てることができるのか、という不安が、普通の親に比べて強いようだ。本人は技術的な嗜好を持っていて、家電製品にやたら詳しかったりするらしい。だから、僕の現在の職業と関連付けて勉強する意味を教えてあげてくれないか、と言う。
すげームチャ振りだと思った。(注1)何しろ相手は一度も会ったことのない男子中学生である。相手にとっても僕は会ったことのない相手である。そういう相手から説教をされて、そもそも聞く耳を持つのかという素朴な疑問がある。しかし、まあ困っているときはお互い様だ。何日か考え込み、それなりに教育プログラムらしきものを作り、Mちゃんに送った。すると、なんとKr君は乗り気になっているという。そうかそうか。本人にやる気があるならば心配は八割方解消である。
3月24日(土)の夕方、辻堂駅で待ち合わせをした。初対面だから、一応、持ち物や服装の特徴を事前に知らせあった。写メールのある時代なんだから顔写真を交換すればよさそうなものだと言う人もあろうかと思うが、いざその時になってみると、自分の顔写真を送ることをためらう人の方が多いのではないだろうか。つまり「こんな見苦しい顔の写真を送れるか」ということである。結局僕は目印に自分のカバンの写真を送っておいた。
Kr君は、連絡通りの服装をしていて、すぐにわかった。しかもMちゃんの小学生の頃の面影があった。初対面ではあったが、すぐに打ち解けたと思う。やはり血のつながりがあるからだろうか。それとも同類の人間なのだろうか。夕食は僕の手料理をご馳走しようかとも思ったが、そちらに時間をとられるわけには行かない。だから外食にした。話したいことがたくさんあったのだ。
さて、家について何を話したか。それは「僕に子供がいたらこういうことを話すだろうな」と思うことである。まずは福沢諭吉の「学問のすすめ」。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと言われているが、現実の世の中に、賢人と愚人、金持ちと貧乏人、いろいろな差があるのはどうしてなのか。福沢はその原因を学問をするかどうかの差であると説き「だからみんな勉強しよう」と啓蒙している。(注2)
それから、国民の三大義務の納税、勤労、教育の話。親の役割、子供の役割、僕の職業の話、Kr君の進路のシミュレーション、勉強の仕方、などなど。集中力が続くのはおそらく3時間程度であろうと思ったので、途中の休憩を挟んで、そのくらいの時間で話を終えた。Kr君にとって面白い話であったかどうかはわからない。しかし少なくとも反応があった。「つまりこういうことですね」と自分なりに咀嚼している様子が伺えた。なんらかの形で頭に残ってくれれば僕としては満足である。たまに会って話せることと言えば、この程度が限度だ。ベストは尽くした。あとはKr君がやるだけだ。
(つづく)
*****
(注1)
Mちゃんのムチャ振りには前科がある。インターネットが普及し始めた頃のことだから、もう20年くらい前だったと思う。Mちゃんの趣味はガーデニングで、バラの花を育てていた。そして、これの情報がインターネットでたくさん見られると言うことをどこかで聞きつけてきて、僕に電話をしてきた。あるサイトを開いて、そのページをプリントして送って欲しいと言う。
いいよ、と気軽に引き受けては見たが、やってみたら、すごいページ数になってしまって、引き受けたことを後悔した。本を一冊買った方がましだと思った。WEBサイトというのは情報機器で閲覧するものであって、紙に印刷するものではない。今の常識で判断すればそうなるが、ネットが普及し始めの頃はそんなもんだった。
今回のことを引き受けたとき、そのときのことを思い出して可笑しくなってしまった。
(注2)
「学問のすすめ」は岩波文庫のものを通読したことがあるが、学校で内容を教わったことはない。なぜ教えないのかと考えるに、現代の感覚とずれている部分があるからだと思う。この本は明治5年に書かれた本である。これから日本が近代化しなければならない時代に、民衆のほとんどが農民だった。その時代に「学問をすれば豊かになれる」という話はかなり説得力があったと思う。しかし、ホワイトカラーを「優」、ブルーカラーを「劣」とする記述は、ほとんどが農民だった明治初期ならまだしも、職業が多様化した現代においては、共産主義者でなくても違和感を感じるところだろう。また昔の本にありがちな人種差別的な記述(それは時代による考え方の差ではあるが)も散見される。
とは言え、学校に行きたくてもいけない人がたくさんいた昔に比べ、現代は当たり前のようにみんな学校に行くので、教育の意義と言うものがわかりにくい。それに今のような就職難の時代にあっては、職にありつけるかどうかに、学歴が露骨に影響する。だから最初にKr君にこの本の冒頭の部分を紹介した。
たいやきを作る [自炊研究]
どうでもいい話だが、僕はけっこうな甘党である。完全自炊を目指している自分にとって、スイーツは今まで未知の領域だったが、今回、初挑戦する。テーマは「たいやき」。
まずは型を買った。アマゾンで何種類か出ている。選んだのはフッ素樹脂加工のついたタイプ。(注1)



で、手っ取り早いところで、ホットケーキミックスと、缶詰のゆで小豆で、作ってみることにした。
最初の試作。中身なし。結構上手くいく。

本番。あんこを入れてみた。まあまあだ。

調子に乗ってイチゴジャムを入れたら大失敗。ジャムが沸騰して噴き出した。

盛り付け。こりゃあ、どうみても旨そうに見えない(笑)。

見てくれは悪いけど、結構美味しかったよ。ホットケーキミックスでなくて、ちゃんとした生地の作り方が箱に書いてあるので、次回はこれでチャレンジする予定。
****
(注1) 実はこれを買う前に、コーティングの無いタイプの別の型を買ってみたが焦げ付いてどうにもならなかった。使い慣れればちゃんどできるのだろうけど、素人が一番最初に買うのはやっぱりフッ素樹脂加工のついたやつがいいと思う。いずれにしても値段はさほど高くはない。アマゾンで、2個取りのタイプで1400~1700円程度だった。
まずは型を買った。アマゾンで何種類か出ている。選んだのはフッ素樹脂加工のついたタイプ。(注1)
で、手っ取り早いところで、ホットケーキミックスと、缶詰のゆで小豆で、作ってみることにした。
最初の試作。中身なし。結構上手くいく。
本番。あんこを入れてみた。まあまあだ。
調子に乗ってイチゴジャムを入れたら大失敗。ジャムが沸騰して噴き出した。
盛り付け。こりゃあ、どうみても旨そうに見えない(笑)。
見てくれは悪いけど、結構美味しかったよ。ホットケーキミックスでなくて、ちゃんとした生地の作り方が箱に書いてあるので、次回はこれでチャレンジする予定。
****
(注1) 実はこれを買う前に、コーティングの無いタイプの別の型を買ってみたが焦げ付いてどうにもならなかった。使い慣れればちゃんどできるのだろうけど、素人が一番最初に買うのはやっぱりフッ素樹脂加工のついたやつがいいと思う。いずれにしても値段はさほど高くはない。アマゾンで、2個取りのタイプで1400~1700円程度だった。
ホワイトシチュー [自炊研究]
「自炊研究」のカテゴリーを立ち上げたのが、昨年2011年の11月だった。目的は「外食依存から脱却して食費を抑えること」。それ以来、このブログにいくつか料理を載せてきた。実はブログに載せた以外にも、かなりいろいろ作った。そして、以前は外食が100%だったのが、今では昼食を含めて95%以上が自炊に切り替わっている。すなわち初期の目的はほぼ達成した。
残り5%は何なのかというと、自分でまだ作れない(作った経験のない)ものが食べたくなるのである。例えば、握り寿司。これは自分で材料を揃えて作るよりも回転寿司の店に入った方がよほど安くあがりそうな気がする。
昨年の12月は、ほとんど料理の記事ばかり書いていたが最近は書いていない。これは料理に飽きてやめてしまったからではない。料理することが生活習慣になってしまったからである。レパートリーはそれなりに増えたが、何しろレシピの本に書いてある通りに作ればそこそこ美味しいものができる。苦労も無く、ハプニングもなく、普通にありふれた料理が完成しただけでは感動が薄く、わざわざブログに書く気が起こらないのである。
しかも最近は「この調味料を、ここにこのくらいの量入れるとどんな味になるか」なんてことがだいたい予測でき、冷蔵庫の中にある材料を組み合わせて、何か適当な料理を作ることが出来るようになってしまった。いわゆる手抜き料理である。そこに家族がいれば苦情が来そうな不味いものが出来上がっても、一人暮らしなら全責任は僕自身が負うので何も問題はない。
さて、慣れてきたとは言っても、キャリアは浅い。感動することはまだいくらでもあるはずである。先日出た三浦マラソンの前日、姉が泊まりに来たときに、ホワイトシチューを作ることにした。この料理は僕が普段使っているレシピの本に書いてあるものだが、材料の分量の表現に少々あいまいな記述があって、なかなか着手できなかったものである。姉が来た機会に初めて挑戦することにした。
完成したのが、下の写真。

材料を炒め、白ワイン入りのスープで煮込む。ホワイトソースはタマネギとバターと小麦粉と牛乳で作る。最後の仕上げでパルメザンチーズを溶かし込む。
特別な材料は使っていない。しかし結構美味しい。自分としては大満足だった。姉が食べたとき、感想は「うん、おいしい」だけだった。しかし市販のルーを使っていないことを知ると「え~~? ルーを使ってないの? それでこれだけ美味しいなら凄いよ」という賛辞をもらった。主婦がこういうなら間違いないだろう。
ホワイトシチューは市販の固形ルーを使わないと作れないという先入観を持っている人が多いと思う。僕もそうだったし、うちの姉もたぶんそうだったのだろう。でも正体は玉ねぎと小麦粉とバターと牛乳とチーズである。以前の記事にも書いたが、僕は一つの料理にしか使えない調味料というのはあまり買いたくない。使いきれなかったときが面倒だからである。今後、僕は恐らくホワイトシチューのルーを買うことはないと思う。
(ただし・・・。カレーの場合、相当に研究が進んでいるようで、いくら自分で美味しいカレーが作れても「もう市販品は買わない」とまでは言えない。カレーは研究者の数だけルーが売られているように思う。特にレトルトは凄い。日本人のカレー好きを物語っている)
残り5%は何なのかというと、自分でまだ作れない(作った経験のない)ものが食べたくなるのである。例えば、握り寿司。これは自分で材料を揃えて作るよりも回転寿司の店に入った方がよほど安くあがりそうな気がする。
昨年の12月は、ほとんど料理の記事ばかり書いていたが最近は書いていない。これは料理に飽きてやめてしまったからではない。料理することが生活習慣になってしまったからである。レパートリーはそれなりに増えたが、何しろレシピの本に書いてある通りに作ればそこそこ美味しいものができる。苦労も無く、ハプニングもなく、普通にありふれた料理が完成しただけでは感動が薄く、わざわざブログに書く気が起こらないのである。
しかも最近は「この調味料を、ここにこのくらいの量入れるとどんな味になるか」なんてことがだいたい予測でき、冷蔵庫の中にある材料を組み合わせて、何か適当な料理を作ることが出来るようになってしまった。いわゆる手抜き料理である。そこに家族がいれば苦情が来そうな不味いものが出来上がっても、一人暮らしなら全責任は僕自身が負うので何も問題はない。
さて、慣れてきたとは言っても、キャリアは浅い。感動することはまだいくらでもあるはずである。先日出た三浦マラソンの前日、姉が泊まりに来たときに、ホワイトシチューを作ることにした。この料理は僕が普段使っているレシピの本に書いてあるものだが、材料の分量の表現に少々あいまいな記述があって、なかなか着手できなかったものである。姉が来た機会に初めて挑戦することにした。
完成したのが、下の写真。

材料を炒め、白ワイン入りのスープで煮込む。ホワイトソースはタマネギとバターと小麦粉と牛乳で作る。最後の仕上げでパルメザンチーズを溶かし込む。
特別な材料は使っていない。しかし結構美味しい。自分としては大満足だった。姉が食べたとき、感想は「うん、おいしい」だけだった。しかし市販のルーを使っていないことを知ると「え~~? ルーを使ってないの? それでこれだけ美味しいなら凄いよ」という賛辞をもらった。主婦がこういうなら間違いないだろう。
ホワイトシチューは市販の固形ルーを使わないと作れないという先入観を持っている人が多いと思う。僕もそうだったし、うちの姉もたぶんそうだったのだろう。でも正体は玉ねぎと小麦粉とバターと牛乳とチーズである。以前の記事にも書いたが、僕は一つの料理にしか使えない調味料というのはあまり買いたくない。使いきれなかったときが面倒だからである。今後、僕は恐らくホワイトシチューのルーを買うことはないと思う。
(ただし・・・。カレーの場合、相当に研究が進んでいるようで、いくら自分で美味しいカレーが作れても「もう市販品は買わない」とまでは言えない。カレーは研究者の数だけルーが売られているように思う。特にレトルトは凄い。日本人のカレー好きを物語っている)
三浦マラソン(3) [マラソン]
つづき)
【感想、膝の症状など】
昔の記事を調べたところ、現在のように生活にランニングを取り入れたのは、2009年の10月だった。当時は、ランニングとは全く無縁な生活をしていて、最初はわずか5分走ることも出来なかった。
最初に出たレースは2010年三浦の10kmだった。この頃10km走るということは僕にとってはものすごいことに思えた。しかし現在ではさほどの大事ではなくなっている。これは「速く走れる」という意味ではなく、「精神的な重圧がなく普通のこととして出来る」という意味である。(ただし一般的な10kmレースの制限時間が70分程度だからこのように言えるのであって、これが50分だったら話は別である)
この最初のレースの後、「一年後にハーフを走ろう」という目標を立て、1年後に実際に出たが、10分オーバーに涙を飲んだ。今年、ようやく2年越しの目標を達成した。
「10km走れたらハーフを走れたのと同じだよ」と言う人が結構いる。かなりいい加減な話だと思う。何の根拠もない。とりあえず僕の場合、1年目はこれは当てはまらなかった。たぶん10kmを必死で走っているうちはハーフは走れないのだ。「10kmなんか普通だ」と思えたときにハーフが走れるようになった。ならばハーフを必死で走っているうちはフルは走れないのだろう。「ハーフなんか普通だ」と思えたとき、フルがようやく走れるのかも知れない。
ところで、今回ハーフを完走して、新たな課題が浮上した。膝の弱さである。この痛み、実は経験がないわけではない。軽いのは今までもあった。しかし、こんなにひどいのは初めてだった。今回は練習と本番の合計で、一週間おきにハーフの距離を3回走った。そして膝への負荷が練習のときから蓄積し、ちょうど本番で限界が来た格好になった。
ここでちょっと、今回経験した膝の痛みの症状をまとめてみる。いわゆる「ランナー膝」というものらしい。太ももから膝の外側に繋がっている筋肉のオーバーワークが原因だそうだ。確かに膝の外側に痛みの中心がある。
0) 練習時
21kmを初めて走った翌日、軽い痛みがあったが1日で終わった。2回目の練習の後は痛みの回復に2日かかった。
1)大会当日から翌日
当日は、走り始めてすぐに痛みが始まった。ランニング終了時は立っているのがやっとだった。帰宅したあとで寒気がしたので体温を測ったら37℃程度の微熱があった。翌日は下記の通り。
・階段の下り: 痛くて左膝を曲げられない。右も同様だが痛みが比較的軽いので、右足に頼って下る。手すりが必要。
・階段の上り: 下りと同様に左膝を曲げられず右足に頼る。ただし下りのときほど深刻ではない。痛みに耐えながら両足を使うことはできる。手すりが必要。
・通常の歩行: 左膝は棒のように伸ばしたまま。右足に頼って歩く。
2)2日目
痛みはだいぶ引いた。 レース直後の痛みを10としたときに右足は2、左足は6くらい。快方に向かっていることははっきり自覚できたが、今後のため、何が起こっているのかを知りたかったので病院で診察を受けた。結果、レントゲン写真では異常が見当たらないと言われた。「軟骨が磨り減っている」と言われるのが怖かったが安心した。あとは一般的な「ランナー膝」の知識とだいたい同じことを言われた。
3)3日目~4日目
通常の歩行も階段の昇降も全く問題無いレベルになった。左に痛みがかすかに残っている。
4)5日目
完治した。
*****
さあ、回復したのはいいが、補強しておかないと、また同じことが起こるはずである。それでは次のステップ(フルマラソン)に進めない。補強には自分の年齢を考慮してじっくり取り組もうと思う。膝を距離に慣らしていかなければならない。慎重に慎重に。
下の写真はオールスポーツで公開された写真。ちょっと高いけど注文してしまった。初めてハーフを完走した記念に。

(おわり)
【感想、膝の症状など】
昔の記事を調べたところ、現在のように生活にランニングを取り入れたのは、2009年の10月だった。当時は、ランニングとは全く無縁な生活をしていて、最初はわずか5分走ることも出来なかった。
最初に出たレースは2010年三浦の10kmだった。この頃10km走るということは僕にとってはものすごいことに思えた。しかし現在ではさほどの大事ではなくなっている。これは「速く走れる」という意味ではなく、「精神的な重圧がなく普通のこととして出来る」という意味である。(ただし一般的な10kmレースの制限時間が70分程度だからこのように言えるのであって、これが50分だったら話は別である)
この最初のレースの後、「一年後にハーフを走ろう」という目標を立て、1年後に実際に出たが、10分オーバーに涙を飲んだ。今年、ようやく2年越しの目標を達成した。
「10km走れたらハーフを走れたのと同じだよ」と言う人が結構いる。かなりいい加減な話だと思う。何の根拠もない。とりあえず僕の場合、1年目はこれは当てはまらなかった。たぶん10kmを必死で走っているうちはハーフは走れないのだ。「10kmなんか普通だ」と思えたときにハーフが走れるようになった。ならばハーフを必死で走っているうちはフルは走れないのだろう。「ハーフなんか普通だ」と思えたとき、フルがようやく走れるのかも知れない。
ところで、今回ハーフを完走して、新たな課題が浮上した。膝の弱さである。この痛み、実は経験がないわけではない。軽いのは今までもあった。しかし、こんなにひどいのは初めてだった。今回は練習と本番の合計で、一週間おきにハーフの距離を3回走った。そして膝への負荷が練習のときから蓄積し、ちょうど本番で限界が来た格好になった。
ここでちょっと、今回経験した膝の痛みの症状をまとめてみる。いわゆる「ランナー膝」というものらしい。太ももから膝の外側に繋がっている筋肉のオーバーワークが原因だそうだ。確かに膝の外側に痛みの中心がある。
0) 練習時
21kmを初めて走った翌日、軽い痛みがあったが1日で終わった。2回目の練習の後は痛みの回復に2日かかった。
1)大会当日から翌日
当日は、走り始めてすぐに痛みが始まった。ランニング終了時は立っているのがやっとだった。帰宅したあとで寒気がしたので体温を測ったら37℃程度の微熱があった。翌日は下記の通り。
・階段の下り: 痛くて左膝を曲げられない。右も同様だが痛みが比較的軽いので、右足に頼って下る。手すりが必要。
・階段の上り: 下りと同様に左膝を曲げられず右足に頼る。ただし下りのときほど深刻ではない。痛みに耐えながら両足を使うことはできる。手すりが必要。
・通常の歩行: 左膝は棒のように伸ばしたまま。右足に頼って歩く。
2)2日目
痛みはだいぶ引いた。 レース直後の痛みを10としたときに右足は2、左足は6くらい。快方に向かっていることははっきり自覚できたが、今後のため、何が起こっているのかを知りたかったので病院で診察を受けた。結果、レントゲン写真では異常が見当たらないと言われた。「軟骨が磨り減っている」と言われるのが怖かったが安心した。あとは一般的な「ランナー膝」の知識とだいたい同じことを言われた。
3)3日目~4日目
通常の歩行も階段の昇降も全く問題無いレベルになった。左に痛みがかすかに残っている。
4)5日目
完治した。
*****
さあ、回復したのはいいが、補強しておかないと、また同じことが起こるはずである。それでは次のステップ(フルマラソン)に進めない。補強には自分の年齢を考慮してじっくり取り組もうと思う。膝を距離に慣らしていかなければならない。慎重に慎重に。
下の写真はオールスポーツで公開された写真。ちょっと高いけど注文してしまった。初めてハーフを完走した記念に。

(おわり)
三浦マラソン(2) [マラソン]
(つづき)
【レース】
自宅を7時に出発し、京急の三浦海岸駅に8:33に到着した。支度をし、荷物を会場にある有料の預かり所に預けた。無料の荷物置き場(地元の小学校の体育館)もあって、こちらは昨年使ったが、男子用は会場からだいぶ離れた場所にあって、使い勝手があまりよくない。有料であっても浜辺にあるほうがいい。ちなみに女子用は会場の比較的近くにあって、こちらはさほど問題はなさそうである。ハーフのスタートは9:37。花火が鳴った。スペシャルゲストの高橋尚子さんがDJのやぐらの上から「頑張ってね~~」と激励してくれている。それだけでなんか楽しい気分になってきた。
走り始めてすぐに左膝に違和感を感じた。練習のときは、走り終わったあとに来た痛みが、今回は、走っている真っ最中に来てしまった。このあと、次第に右膝も痛み始めた。8km地点の城ヶ島大橋。昨年は良く晴れていて、ここからの海の眺めは素晴らしかったが、今回は天気が悪くて残念。城ヶ島には和太鼓の演奏団がいて、ドンドコドンドコ太鼓をたたいて、ランナーを励ましてくれる。なお練習のときは、エネルギー補給(バナナ)をしたのは折り返し地点だったが、本番の折り返し地点(城ヶ島の中にある)は停止できるような場所ではなく、出来なかった。とりあえず補給せずに、そのまま行けるところまで行こうと思った。
城ヶ島を出て橋を渡ったあたりに中間地点があり、ここにスタートからのタイムが表示されている。僕が通過した時、タイムは1時間04分だった。だいたい、いつもと同じペースだ。今回は運悪く、走っている最中に電池切れで時計が止まってしまって、自分のペースがわからず、ちょっと不安だったが、時計があろうがなかろうがランニングってのは毎回だいたい同じタイムになるらしい。(だから時計は要らないという話にはならないが)
17km地点。昨年、ランニングが止まってしまった地点である。疲労がピークになったので、用意しておいたゼリーで腹ごしらえをした。そしたら効果てきめん! まるでポパイがほうれんそうを食ったように急に元気になってしまった。♪ ポパイ、ザ、セ~ラ~マ~ン!♪ アニメのあの音楽が頭の中に鳴り響いて、自分でおかしくなった。(しかし、あの音楽を知っている人も、もう少ないかも知れないな)
補給が終わってランニングを再開した途端に、膝に激痛を感じた。これはもう、あまりもたないかも知れない。膝に抱えた爆弾は、この次に止まったら爆発すると思って走った。(以前、そんなパニック映画があったような) とにかく、ここから先は前進あるのみ。必死に腕を振って足を動かした。
沿道の人が、「もうすぐゴールだよ~」と励ましてくれる。これはありがたい。息が上がってしまってお礼が言えないのがもどかしい。ゴール地点ではQちゃんがハイタッチで出迎えてくれた。感動。タイムは2時間14分。昨年と比べたらこのうれしさは天国と地獄である。ちなみに姉は2分遅れて2時間16分でゴールした。
ゴールしたあと、2時間20分の制限時間が過ぎたあとで何がおこるのか、気になったのでずっとDJに耳を傾けていた。時間になったら、DJは「みなさん、お疲れ様でした、どうもありがとうございました」と挨拶し、ゲストのQちゃんもそのように挨拶し、まるでラジオの番組が終わるように大会が終わったのだった。ああ無情。(いや、そんなこと言っちゃいけないよね。道路の封鎖を解除しなければならないんだから)
下の写真は完走証。

(つづく)
【レース】
自宅を7時に出発し、京急の三浦海岸駅に8:33に到着した。支度をし、荷物を会場にある有料の預かり所に預けた。無料の荷物置き場(地元の小学校の体育館)もあって、こちらは昨年使ったが、男子用は会場からだいぶ離れた場所にあって、使い勝手があまりよくない。有料であっても浜辺にあるほうがいい。ちなみに女子用は会場の比較的近くにあって、こちらはさほど問題はなさそうである。ハーフのスタートは9:37。花火が鳴った。スペシャルゲストの高橋尚子さんがDJのやぐらの上から「頑張ってね~~」と激励してくれている。それだけでなんか楽しい気分になってきた。
走り始めてすぐに左膝に違和感を感じた。練習のときは、走り終わったあとに来た痛みが、今回は、走っている真っ最中に来てしまった。このあと、次第に右膝も痛み始めた。8km地点の城ヶ島大橋。昨年は良く晴れていて、ここからの海の眺めは素晴らしかったが、今回は天気が悪くて残念。城ヶ島には和太鼓の演奏団がいて、ドンドコドンドコ太鼓をたたいて、ランナーを励ましてくれる。なお練習のときは、エネルギー補給(バナナ)をしたのは折り返し地点だったが、本番の折り返し地点(城ヶ島の中にある)は停止できるような場所ではなく、出来なかった。とりあえず補給せずに、そのまま行けるところまで行こうと思った。
城ヶ島を出て橋を渡ったあたりに中間地点があり、ここにスタートからのタイムが表示されている。僕が通過した時、タイムは1時間04分だった。だいたい、いつもと同じペースだ。今回は運悪く、走っている最中に電池切れで時計が止まってしまって、自分のペースがわからず、ちょっと不安だったが、時計があろうがなかろうがランニングってのは毎回だいたい同じタイムになるらしい。(だから時計は要らないという話にはならないが)
17km地点。昨年、ランニングが止まってしまった地点である。疲労がピークになったので、用意しておいたゼリーで腹ごしらえをした。そしたら効果てきめん! まるでポパイがほうれんそうを食ったように急に元気になってしまった。♪ ポパイ、ザ、セ~ラ~マ~ン!♪ アニメのあの音楽が頭の中に鳴り響いて、自分でおかしくなった。(しかし、あの音楽を知っている人も、もう少ないかも知れないな)
補給が終わってランニングを再開した途端に、膝に激痛を感じた。これはもう、あまりもたないかも知れない。膝に抱えた爆弾は、この次に止まったら爆発すると思って走った。(以前、そんなパニック映画があったような) とにかく、ここから先は前進あるのみ。必死に腕を振って足を動かした。
沿道の人が、「もうすぐゴールだよ~」と励ましてくれる。これはありがたい。息が上がってしまってお礼が言えないのがもどかしい。ゴール地点ではQちゃんがハイタッチで出迎えてくれた。感動。タイムは2時間14分。昨年と比べたらこのうれしさは天国と地獄である。ちなみに姉は2分遅れて2時間16分でゴールした。
ゴールしたあと、2時間20分の制限時間が過ぎたあとで何がおこるのか、気になったのでずっとDJに耳を傾けていた。時間になったら、DJは「みなさん、お疲れ様でした、どうもありがとうございました」と挨拶し、ゲストのQちゃんもそのように挨拶し、まるでラジオの番組が終わるように大会が終わったのだった。ああ無情。(いや、そんなこと言っちゃいけないよね。道路の封鎖を解除しなければならないんだから)
下の写真は完走証。

(つづく)
三浦マラソン(1) [マラソン]
2012年3月4日。今年も三浦マラソンの季節がやってきた。(正式な大会名は「第30回2012三浦国際市民マラソン」)。昨年は甥と一緒にハーフを走り、制限時間を10分オーバーして悔しい思いをした。同じことを2年連続でするわけにはいかないと思っていた。そして参加した結果、大きな成果を得ると同時に、大きな課題を抱えることになった。今後のため、練習から順を追って経緯を綴ることにした。
【練習】
2012年2月5日に練習開始。1月14日の高滝湖マラソンから3週間のブランクがある。まずは10km。実はいつものコースを2周して20km走るつもりだったが、1周で断念。こういうコースだと、1周したところでどうしても甘えが出てやめてしまうので、そうならないように10.5kmで折り返して帰ってくるコースを新しく設けることにした。グーグルの地図で、自宅から藤沢橋、遊行寺経由で東海道を北上し戸塚警察署付近まで行くと、片道10.5kmになることがわかったので、これを往復する。
翌週2月19日に2回目の練習。新しく作ったコースで、5kmごとに給水し、折り返し地点でエネルギー補給のためにバナナを食べた。タイムは2時間23分。惜しい。3分オーバーだ。翌日、膝の痛みが来たが、1日で回復した。さらに翌週、2月26日、前回と同じことをして、タイムは2時間20分ちょうどだった。練習はこれでおしまい。前週よりも足の痛みが強く出て、治るのに2日かかった。
一般公道の練習は信号待ちがある。これは避けられない。信号待ちをすればそれがタイムロスになる。その状況で、2時間20分ちょうどである。ならば、これが無ければもっと速くなるかというと、どうなんだろう。信号待ちは適度に休憩を取っていることにもなるのだ。これが無くなったときに、吉と出るのか凶と出るのか。それはやってみないとわからない。
【前日】
一緒に参加する姉が前日泊のために来訪。夕食をとって早めに就寝。姉は熟睡できたそうだが、僕はどういうわけかなかなか寝付けなかった。一晩中、浅い眠りのままだった。しかも1時間に1回、トイレに起きる、いわゆる頻尿状態。緊張しているせいなのか。興奮しているのか。自分でもさっぱりわからなかった。
(つづく)
【練習】
2012年2月5日に練習開始。1月14日の高滝湖マラソンから3週間のブランクがある。まずは10km。実はいつものコースを2周して20km走るつもりだったが、1周で断念。こういうコースだと、1周したところでどうしても甘えが出てやめてしまうので、そうならないように10.5kmで折り返して帰ってくるコースを新しく設けることにした。グーグルの地図で、自宅から藤沢橋、遊行寺経由で東海道を北上し戸塚警察署付近まで行くと、片道10.5kmになることがわかったので、これを往復する。
翌週2月19日に2回目の練習。新しく作ったコースで、5kmごとに給水し、折り返し地点でエネルギー補給のためにバナナを食べた。タイムは2時間23分。惜しい。3分オーバーだ。翌日、膝の痛みが来たが、1日で回復した。さらに翌週、2月26日、前回と同じことをして、タイムは2時間20分ちょうどだった。練習はこれでおしまい。前週よりも足の痛みが強く出て、治るのに2日かかった。
一般公道の練習は信号待ちがある。これは避けられない。信号待ちをすればそれがタイムロスになる。その状況で、2時間20分ちょうどである。ならば、これが無ければもっと速くなるかというと、どうなんだろう。信号待ちは適度に休憩を取っていることにもなるのだ。これが無くなったときに、吉と出るのか凶と出るのか。それはやってみないとわからない。
【前日】
一緒に参加する姉が前日泊のために来訪。夕食をとって早めに就寝。姉は熟睡できたそうだが、僕はどういうわけかなかなか寝付けなかった。一晩中、浅い眠りのままだった。しかも1時間に1回、トイレに起きる、いわゆる頻尿状態。緊張しているせいなのか。興奮しているのか。自分でもさっぱりわからなかった。
(つづく)
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